父親が亡くなった。 - akitのギター部屋

父親が亡くなった。

※本ブログでは記事中に広告情報を含みます

父親が亡くなった。


春藤葬儀で葬儀2023年11月



内容が内容だけに
このギターブログで書こうか
悩みましたが、

去年の今頃
父親が救急車で運ばれたという、
こんな記事を書いてたので、

>>家の前に救急車が止まった!結果は肺膿瘍


別れの儀式
記録として書き残しておきます。


2023年11月4日
父親が入院してた
つがる市の尾野病院で亡くなりました。

その日は、
父親の呼吸が浅くなって、
低空飛行状態だと連絡が来て、
母親と妹の車で、病院に行きました。
病院から渡される
マスク、薄いゴム手袋をつけて
面会時間、約15分。

入院してから自分は今回で3回目でしたが、
自分が初めて行った時には、
酸素マスクを付けてて
喋れない状態で、
1回目、2回目までは、
目線とか顎とか
眉間のシワで反応してる感じでしたが、
11月4日は、
声を掛けても無反応な感じでした。
15分経ったということで、

一旦、家に帰りました。
母親から前から言われてた
庭の木をスッキリ整えてもらいたいと
言われてたので枝切り鋏で、
30分ぐらい木を切って、
ある程度整えて、

昼飯を食べて、
朝に洗濯機を回して、
洗いだけをやってた洗濯物を
すすぎ始めたら、

病院から電話がかかってきて、
母親から父親が
もうそろそろ危ないということで、

また、母親、妹と一緒に
車で尾野病院へ向かいました。

2023年11月4日
よくドラマとか見る雰囲気。
若い女性の医者でしたが、
◯時◯分・・・。
という語り。


父親の脇にいた母親と妹は
泣いていましたが、

自分は現実感がなく、
本当に死んだのか?と聞きました。

涙も出てきません。
ピンと来てない感じです。

酸素マスクを外され、
小便用の管、
今までついてた栄養供給用の
管も外されていきます。

淡々と進んでいきました。
控室で待たされて、
これから家族は
どうなっていくんだろうかと。


☆父親がおかしくなった日


家で様子がおかしくなったのが
2022年11月17日で、
喋れるんですが、
手足に力が入らなくなって、
自分で立ったり、座ったりが
完全にできない状態、

つまりトイレにも行けない状態、
自分と母親、
妹も呼んで、
トイレに連れて行こうとしましたが、
自分は腰を痛めてしまいました。

この状態がいつまで続くんだ?
父親と母親は
様子を見ると言っていました。

このやばい状態で
いつまで様子を見てるんだ?
と思いましたが、

父親本人、家族共に
どう考えても生活の質が下がっていくと
思ったので、
いいかげんにしろと自分が叫んで、
やっと救急車を呼ぶことになりました。

最初に救急車を呼んで
入院したのが、
2022年11月19日

病気としては、
肺の中に空洞ができて
膿がたまる病気の肺膿瘍
別名は化膿性肺炎

誤嚥性肺炎のキツイやつみたいです。

あと、完全に寝たきり
要介護5で、
椅子とか車椅子にも座れない感じで
認知症

完全介護状態です。


最初に入院したのが、
五所川原市のつがる総合病院。

つがる総合病院といえば、
父親は、2年ぐらい前まで
シルバー人材センターから、
つがる総合病院の駐車場で
働いていました。

つがる総合病院の敷地内で
働いてたということで、

医者と同じような時期に
新型コロナウイルスのワクチンを
うっています。

合計3回、

新型コロナになったことはないです。


肺膿瘍、
寝たきり、要介護5、認知症になったのは

生活習慣、老化現象、
物の食べ方とかも
大きく影響があったと思いますが、

新型コロナウイルスのワクチンを
うった時と
時間軸的に重なるので、

新型コロナウイルスのワクチンの
影響も少しはあったんじゃないかと
個人的には思っています。

なぜかといえば、
今から10年ぐらい前に
脳梗塞をやって2ヶ月半ぐらい
父親は入院していました。

脳梗塞といえば、
血管の病気、血圧が関係する病気です。

新型コロナウイルスのワクチンを
うつと健康な人でも
血圧がパンッと上がる人もいるので、

ワクチンの影響もあったんじゃないかと
思っています。


☆入院と新型コロナと面会と


2022年といえば
世の中は、新型コロナの雰囲気。

入院する前の父親の雰囲気ですが、
自分で、外に新聞を取りにいったり
自分で洗濯機を回して
洗濯をしたりしていました。

駐車場で働いてた時期に
自転車に乗って倒れて
(2回ぐらいあった。)
脱水症状で病院に運ばれたあたりから

父親は、外にあまり出なくなって、
他の人との交流もあまりなくなり、
雪かきもしなくなって、
足元も足を引きずるような感じで
歩くような感じでした。

この感じだと
冬を越せないぞと、

もし入院しても
今の新型コロナの雰囲気だと
自由に面会も出来なくなって
どうするんだ?と
いうような話を本人にしたこともあります。

実際、面会しづらい状態に
なってしまいました。


面会する人は、
一度に2~3人、時間制限もあります。

ということで、
自分は、あまり面会には行きませんでした。


つがる総合病院にも
ずっとはいられないので、

板柳の病院に移って、

板柳の病院にもずっとはいられないので

つがる市の尾野病院に移ることに
なりました。


この尾野病院、
通称、看取りの病院とか
最後の病院と言われてるみたいです。

看取りの病院と自分が知ったのが
2023年10月です。

母親と妹は
看取りの病院ということは
知ってたみたいですが、

なんで、もうちょっと
ちゃんと自分に伝えなかったんだろうかと

2023年8月ごろには
父親と会話が出来てたみたいです。

その後、
おかゆ的なものを食べて、
また誤嚥して、
肺の中で雑菌が繁殖して、

肺の片方だけだったのが、
悪化して両方の肺が白くなって、
酸素マスクをするようになったみたいです。

あと、
面会しづらい状態ということで、
母親は親戚の人にも入院してるということを
電話とかで伝えてなかったみたいです。

亡くなる何日か前には
何人かには伝えたみたいですが、

看取りの病院ということが
わかってたら、

自分の行動がもうちょっと
なにかやりようがあったんじゃないかと
後悔しています。

家の父親は、
6人兄弟の末っ子なんですが、

父親の一番上の兄が
父親と20歳ぐらい離れてて、

その兄の子供が何人かいるんですが、
一番上の長女が
父親と2歳違いということで、
同じ家で、
ほとんと兄弟のように育ったと
亡くなってから母親から聞きました。

その75歳の人にも
父親が入院してるということを
伝えてなかったみたいで、

新聞で亡くなった人を見て
自分の父親の名前が載ってて
ビックリして、
2023年11月6日の夜。
自分で車を飛ばして、
葬式が終わってから
家に来たという感じです。

なにかがおかしい。

関係性が分かってたら
自分がもうちょっと出来たんじゃないかと
いろいろと後悔しています。


☆葬式などのお金の話、現実。


人が亡くなったら
いろいろバタバタとやることがあります。

尾野病院の控室から
妹が電話を掛けて
春藤で葬儀をやってもらうことに
なったんですが

家は経済力が無いので、
父親を病院から家へ連れ帰ることもなく
一番、最低ランクの
シンプルな簡易的な葬儀をすることに
なりました。

春藤葬儀のスタッフの人が
見開きの価格表を見せつけながら
説明をしていきます。

スタッフの人が言うには、
お金を払わないで
逃げる人も結構いるみたいです。

病院から
一時保管所への
父親の移動、
保管所での1時間あたりの費用が
770円が2日間分ぐらい、
おくりびとが来ての納棺式、
火葬場の費用が市役所に1万円
香典返し一つ海苔セットが
1100円×20個
足りなくなったら追加できて
多すぎたら返却もできる。

などなどいろいろひっくるめて
ざっくりと
25万~27万円という感じでした。

あと、申請すれば
五所川原市で、
葬儀の補助金?手当?が
5万円もらえるそうです。

市のホームページに書かれてあります。

あと、亡くなってから
24時間は火葬できないと言っていました。

ということで
亡くなった人を保管する費用が発生します。



☆おくりびとの仕事を初めて真正面から見た。


2023年11月5日
春藤葬儀の保管場所で布団の上
父親の腹の上には、
体が腐りにくくなるような
冷やす機械の物体が乗っかっている。

布団乾燥機の
寒いバージョンな感じ。

棺桶を移動させたり
棺桶の中に父親を移動させたり
家族に手伝わせる感じで、
別れの儀式ですね。

元々、父親は
176cm85kgぐらいある感じで、

77歳にしては
がっちり体型だったんですが、

2023年10月3日に
体重を測った数値が
病院のベッドの足元に
48kgとあって、

ガリガリに痩せてしまってたんですが、
納棺式の時には
もっと痩せてしまった感じでした。

その棺桶に入れる前に
布団に寝させられた父親。

自分は、ど真ん中
父親の左側。

病院の柄入りの浴衣から
白装束に「おくりびと」によって
着せ替えられていきます。

白い浴衣、
足には、白い足袋と藁でできた草履、
手の甲、足のスネも
白い布で覆われていきます。

腹のあたりには
天国で困らないように
お札を模した数字がプリントされた
お金みたいなもの。


横たわる父親。
自分と似てる顔。

この状態になっても
現実感がない感じで、
淡々としています。涙も出てきません。


この納棺式の日は、
2組、合計3人来ました。

自分が、
何十年と会ってなかった
母親73歳の妹で確か70歳と

初対面の
自分の妹の夫の
一番上の兄とその母親が
来ました。

自分は、基本的に
引きこもりなので、

思い切り人見知りモードが
発動してしまいました。

何を喋っていいのか、
眠ったふりをしてみたりして
相手から見たら
思い切り雰囲気が悪くて
居心地が悪かったと思います。

久しぶりに
母親とその妹が喋ってる状態を
見ました。

多分、30年ぐらいぶりに会ったので、
顔を見てもピンときませんでした。
ただ、喋ってる話口調を聞いて
段々と頭の中の記憶と
一致してきた感じです。

しゃべりがなかなか止まらない感じ、
母親は、記憶がしっかりしてて、
立て続けに昔の経験を
喋ってて、ボケてないなと
母親の妹も
思ってたよりも元気な感じで、
安心しました。

他人と
ここまで長時間いることが無かったので、
思い切り疲れました。



☆父親が火葬場で焼かれた。


2023年11月6日、
妹の車の運転で、
母親と母親の妹と
58歳?の親戚の女性を乗せて、
春藤葬儀の保管所に
朝9時頃までに向かいました。

棺桶に入った父親の顔を見たりしながら
顔を見るのが最後なんだなと
思いながら、

9時半になって、
棺桶を自分も参加して移動させて、
ワゴン車に載せて、
葬儀屋の運転手の人と
自分と母親も一緒に乗って
火葬場へ向かいました。

火葬場は、
五所川原市の金山の葬斎苑です。

近所に津軽金山焼があります。

あと、でっかい貯水池的なものもあって

広い墓場もありました。

あと、
熊出没注意というような看板も
ありました。

火葬場でクマにやられたら
恐ろしいなと思いながら

火葬場に入っていきました。


いろいろ準備してる時に
リンゴ農家をやってる
自分の父親の一番上の兄の
3番めの子供、長男66歳が
黒い正装でやってきました。

この人とも
多分、10代の時に会って以来
35年ぶりぐらいに会いました。

父親とも自分とも
顔が似ています。

母親とかと話してる
独特な口調で、
だんだん記憶と一致してきました。

話を聞いてたら、
父親がつがる総合病院の駐車所で
働いてた2~3年前に
見かけたことがあったみたいで、
最近見てないなと
思ってたそうです。

父親が生きてた断片を知ると
嬉しいものですね。

目に焼き付けるように
火葬場の外の緑の景色を見たりしながら、

父親が焼かれてる間
線香を切らしちゃいけないということで、

親戚たちと代わる代わる
線香をあげていました。

チン、チン、チンーーーー。

「成仏してください。自分は元気に生きていきます。」


と、念じながら、

火葬場で2回めに
線香に火をつけて差した時に


火葬場のボイラーの
音が急に大きくなって
火力が大きくなって、

一瞬、父親が化けてなにかしたのか?
と思いましたが、

火葬場のボイラーのシステムなんでしょうね。


火葬場に行っても
線香をあげるぐらいしかやることがなくて

母親がこの日のために買ってきた
テーブルに用意した
ランチパック、
ベビーサラミ、
お菓子、ジュースなど、
いろいろあったんですが、

火葬場で食べるという気にも
ならないのか、
ほとんど誰も手をつけない感じで、

父親が焼かれてから
約1時間半で完全に焼き上がりました。

完全に骨です。


真っ白な骨です。


こうなってしまうと、
もう父親ではないです。

物体です。


骨の箱詰め作業が始まります。


葬斎苑のスタッフの人に
割り箸と厚紙の皿みたいなものを
渡されます。


親戚一同でかわるがわる
箸で骨を皿に集めて
スタッフの人に箱に入れてもらいます。

最後に
箱の上側の空間に
でっかい骨が置かれて
蓋で閉じられて
飾りの布が被せられます。

火葬場での作業は、
終わりました。

荷物を妹にあずけて
トイレで小便。

感情的に
やっぱり現実感がない感じで、
淡々と進んでいきました。

ここで、葬儀一式の流れは
終了ということで、
解散になりました。


☆やっと涙が出た。


2023年11月7日
一連の葬式が終わって、
疲れたと思いながら
昼辺りに
風呂に入りました。

なんか心に引っかかっていました。

自分の父親の一番上の長男が
20歳上で、
本家で

その子供の
長女が75歳ということで、

父親が77歳なので
兄弟と変わらない感じで
育ってきてるんじゃないかと思って、

母親に聞いてみたら、
そうだと。

自分から見たら
年の離れた「いとこ」になります。


新聞を見て、
お悔やみ欄を見て
自分の父親が載っててビックリして
家に車を飛ばして
やってきたと母親が言ってたので、

なんで、電話とかで
伝えてなかったんだろうかと、

新型コロナの雰囲気とか
母親自身の病気に向き合ってて
バタバタしてたというのがあったとしても

父親との関係性を知ってたら
電話の一本でも
入院した時点でしてても
良かったんじゃないかと疑問が残ります。

自分が75歳のいとこだったら
怒って、怒鳴り散らしてるかもしれないです。

関係性とか、
なんかいろいろあるんだろうか?

今まで、
現実感が湧かない感じで、
淡々としてたんですが、

父親が子供の時のことを考えて、

いろいろと想像してたら、
久しぶりに涙が出てきました。


父親は幸せだったんだろうか。



☆父親が生きた残像を探しに朝サイクリング


自分は基本的に
引きこもりですが、

2年ぐらい前から
週に2回ぐらい
朝早く、朝サイクリングをやっています。

2023年10月は
願掛けのつもりで
いつもより長めに
合計で102km走りました。

2023年11月8日、
葬儀も一段落して
4日ぶりに朝サイクリングに行きました。

今日の目標は
自販機で2本ジュースを買って、
ゆっくり走る。

今日は、雨がパラパラと降ってたんですが、

11日には天気予報に雪マークも
あったので、
今年は、あと何回もサイクリングが
出来ないなと思ったので、

思い切って、
朝サイクリングに行きました。

6時。まだ真っ暗です。

雨がパラパラ降って、
暗い、寒いということで、

歩いてる人も自転車の人も
ほとんどいません。

朝サイクリングでよく通る道、
つがる総合病院の前、

ここの駐車場で、
自分の父親は働いてたんだなと、

この道を
朝早く、自転車で通ってたんだなと
自分が今やってることと
一緒じゃないかと
思った時に

涙がじわっと出てきました。


そのうちどしゃ降りになってきました。


こういう、
どしゃ降りの日も
つがる総合病院に働く為に
自転車で通ってたんだろうなと
思ったら、更に涙が出てきました。


家に帰ってきました。


昨日の夜も家に何人か来てたみたいです。

今日も誰か来てたみたいです。


父親は、
家に人を連れてくることも
ほとんどなく
友達が少ない感じでしたが、
いろんな人が関わって生きてるんですね。



自分は元気に生きていきます。




父親が亡くなった。
でした。


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